東京高等裁判所 昭和34年(ネ)500号 判決 1960年11月24日
控訴人 田中米作
被控訴人 井出義盛
主文
原判決を取り消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、請求の趣旨を変更し、「原判決を左のとおり変更する。控訴人は被控訴人に対し、別紙目録記載の土地を引渡せ。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求めた。
当事者双方の事実上の陳述、証拠の提出、援用、認否は、左に記録するほかは原判決事実摘示と同一であるから、それをここに引用する。
第一、被控訴代理人において
(一) 控訴人が、罹災都市借地借家臨時処理法第二条、第九条により借地権を取得したという主張は理由がない。則ち
(1) 被控訴人が別紙目録記載の土地(以下本件土地と称する)を含む借地上に家屋建築に着手したのは昭和二十一年五月終頃で、同年六月初頃には既に棟上げを完了し、同年九月下旬には完成家屋となつていたから、被控訴人は罹災都市借地借家臨時処理法第二条第一項但書にいう「その土地を、権原により現に建物所有の目的で使用する者」に該当する。従つて仮に控訴人にその主張するような権利があつたとしても、もはや賃借の申出はできないから、控訴人は本件地上に賃借権を有するものではない。
(2) 烏森神社は、その所有にかかる宅地(境内地を含む)を三十余件も他に賃貸していたが、同神社においては右賃貸借につき氏子総代の同意および神社本庁の承認が必要であることを知らなかつたので、一回もその手続を履んだことがない。控訴人の主張する借地権についても同様である。則ち烏森神社と前借地人である児島、横井与吉との間の賃貸借については、当時施行されていた宗教団体法によれば、氏子総代の同意のほか地方長官の認可が必要であつたにもかかわらず、地方長官の認可を受けていないから、控訴人の主張によればその賃貸借は無効である。そうだとすれば、控訴人が罹災都市借地借家臨時処理法に基いて賃借の申出をしても、その前提となるべき賃借権が存在しないから、控訴人は本件土地につき借地権を取得するいわれはない。
よつて控訴人が本件土地に借地権を有する旨の主張は失当である。
(二) 被控訴人は、本件土地を烏森神社から賃借するについて、同神社氏子総代の同意を得ている。
(1) 宗教法人令第九条は、氏子総代の定数に関する規定であるが、同令第十一条には「総代ノ同意ヲ得ルコトヲ要ス」とあるのみで、総代全員の同意を必要とするとは定めていない。同令には、他に総代の事務処理の方法を規定した条項がないから、それは私法の一般法である民法第五十二条第二項の「法人ノ事務ハ理事ノ過半数ヲ以テ之ヲ決ス」との規定によるものと解すべきである。後日制定され、現在施行中の宗教法人法第十九条も「規則に別段の定がなければ、宗教法人の事務は、責任役員の定数の過半数で決し、その責任役員の議決権は、各々平等とする。」と規定している。被控訴人が烏森神社から本件土地を賃借した当時、同神社の氏子総代三名のうち一名は欠員であつたが、被控訴人は当時在任中の川崎勝五郎、渡辺八十吉両名の同意を得た。右は氏子総代過半数の同意に当るから、宗教法人令第十一条第一項の同意があつたものといえるのである。
(2) 仮に右賃貸借について、氏子総代三名全員の同意を必要とするとしても、烏森神社においては、昭和二十三年初頃、丸源一郎、内海重蔵、井出義盛(被控訴人)が氏子総代に就任し、同人らは同神社と被控訴人との間の右賃貸借契約を承認した。即ち、被控訴人は当初本件賃貸借契約締結に当り、昭和二十一年五月一日から昭和二十六年四月三十日まで五ケ年分の賃料三千四百十五円二十銭を同神社に前払いしたが、昭和二十六年六月に至り、前記三名の氏子総代は、同神社の会計係山路一郎を通じ、被控訴人に対して右賃貸借の賃料を、昭和二十五年八月に遡り、一ケ月二千五十円に値上げすることを求めてきたので、被控訴人はこれに応じてその支払をした事実がある。これはとりもなおさず、烏森神社の氏子総代が同神社と被控訴人との間における賃貸借契約を承認したものにほかならない。
(3) 宗教法人法が施行された後、烏森神社においては責任役員が五名就任したが、昭和三十年二月十八日同神社から訴外梅沢文彦に対し、本件土地を売渡すにつき作成された契約証書第一項にも、「(2) 二十八坪三合四勺は井出義盛の賃貸地なり」と表示し、「現在訴訟に係る事件、未納地代の請求権」まで買主の梅沢に承継せしめることとし、これに責任役員が署名捺印しているから、右責任役員らにおいても、被控訴人が本件土地に賃借権を有することを認めていたことは明白である。
(4) 上叙のような経緯に徴すれば、本件賃貸借が、たとえ契約の当初において氏子総代の同意を欠き、瑕疵ある契約であつたとしても、その瑕疵は後日治癒されたと認むべきである。
そしてかかる場合には、その契約は追完により当初から有効に存続するものと解すべきであるから、被控訴人は適法な借地権者である。
(三) 本件賃貸借につき、神社本庁の承認がなくても、被控訴人の賃借権は有効である。
(1) 宗教団体法が施行されていた当時においても、宗教法人の所有土地処分を認可する行為は、処分行為そのものの成立要件ではなく、許可を効力確定条件とする認証的行為に過ぎなかつた。終戦後同法が廃止され、宗教法人令が施行されたが、同令における神社本庁の承認は、官庁の認可行為とは異り、下級者の行為能力を補充する効果を有するだけで、上級者の行政処分的行為ではない。換言すれば、宗教法人令第十一条第二項は、上級宗教法人の承認を効力確定のための停止条件とするに過ぎないから、右承認を欠く行為といえども、当然には無効となるものではない。烏森神社は、同神社が被控訴人との間に締結した賃貸借契約の効果として、神社本庁に対し右賃貸借契約の承認を求めるべき義務を負担したのであつて、その承認、不承認の確定しない間においては、賃貸借契約の効力が未確定であるに過ぎず、契約そのものは無効ではない。しかも烏森神社の主管者は、その承認を求める手続を採ることを怠り、自ら条件の成就を妨げたのであるから、民法第百三十条の趣旨により、自ら無効を主張することは許されない。
(2) 被控訴人と烏森神社との間における賃貸借契約は、前記のように、上級者たる神社本庁の承認を停止条件とする契約であり、烏森神社の主管者はその承認手続を採るべき義務を負担していたが、その後宗教法人法の施行に伴い、宗教法人令が廃止されたため、神社本庁の承認を得る必要はなくなつた。また、その後において、烏森神社は本件土地を訴外梅沢文彦に売り渡したが、その際同神社と右訴外人との間において、本件土地の賃貸借契約における賃貸人たる地位を右梅沢において承継する旨の合意が成立したので、烏森神社と被控訴人との間には賃貸借契約はなくなつた。この点よりいりも、もはや神社本庁の承認は不要に帰したものである。要するに、現在においては、神社本庁の承認がないという瑕疵は治癒されたから完全な賃貸借契約として存続するものである。
(四) 本件土地の現所有者梅沢文彦と被控訴人との間には、現在も有効な賃貸借契約が存続しているから、被控訴人は本訴の代位の基礎である賃借権を有するものである。
(1) 烏森神社は、昭和三十年二月十八日、本件土地を含む東京都港区芝新橋一丁目十四番地五宅地六十一坪三勺を訴外梅沢文彦に売り渡したが、その際両者の間において、買主たる右訴外人は、烏森神社と被控訴人との間における賃貸借契約を承継すべき旨を承諾したから、爾後梅沢はその賃貸人たる地位を承継した。もつとも、甲第二十六号証(土地売買契約書、別件乙第三十二号証)中(2) に「井出義盛、田中米作、児島三郎と当神社間の現在訴訟に係る事件を買受人梅沢文彦承継することを承認して此の契約を締結したり」とあつて、あたかも被控訴人と烏森神社間に訴訟が係属しているようにみえるがそれは、申立人児島三郎、相手方烏森神社間の東京地方裁判所昭和二十三年(シ)第七七七号賃借権設定竝びに条件確定の臨時処理法事件及び申立人田中米作、相手方烏森神社間の借地権確定の臨時処理法事件である。この両事件は併合され、被控訴人は右事件の参加人として関係しているので右のように表示されたものであつて、被控訴人と烏森神社との間における賃貸借契約について両者間に争いがあつた為ではない。右梅沢は、被控訴人が本件土地に賃借権を有することを承認してこれを買受けたものであることは、前記甲第二十六号証中(1) に、被控訴人を賃借人と明示してあること、同(3) に、「従来(今日迄の)未納地代は買受人において権利を承諾する」と定め、本件土地に賃貸借の存在することを前提としている事実からみても明白である。
(2) 仮に烏森神社と被控訴人との間の賃貸借契約が無効であり、烏森神社と梅沢文彦との間における承継が効力を生じなかつたとすれば、本件土地売買に際し、烏森神社と梅沢との間においてなされた前記(1) 記載の契約は、買主たる梅沢は本件土地を前主の烏森神社と同様に、引続き被控訴人に賃貸するという第三者(被控訴人)のためにする契約をなしたものと解しえられるのである。よつて被控訴人は、原告梅沢文彦、被告被控訴人間の東京地方裁判所昭和三十四年(ワ)第四〇二号建物収去土地明渡事件の昭和三十四年五月二十五日の口頭弁論期日において、梅沢文彦に対し受益の意思表示をしたから、被控訴人と梅沢文彦との間には本件土地に関する賃貸借契約が成立し、以後存続しているのである。
(五) 被控訴人と烏森神社との間に成立した賃貸借契約が期間五年の短期賃貸借であるという主張はしない。
(六) 従来収去を求めていた本件地上の建物は朽廃して存在しなくなつたから、請求の趣旨を訂正する。
(七) 立証として、新たに甲第三十一、第三十二号証の各一、二、同第三十三および第三十四号証を提出し、当審証人向山道春、同内海重蔵、同渡辺敬の各証言および当審における被控訴人本人尋問の結果を援用し、乙第三号証の成立は不知と述べ、乙第十四号証の原本の存在とその成立を認め、その他の乙号各証(原審で提出されたもの全部を含む)の成立を認めた。
第二、控訴代理人において
控訴人は昭和二十一年九月下旬罹災都市借地借家臨時処理法第九条第二条の規定に基き当時の烏森神社宮司佐々木春男に対し本件土地を含む土地の賃借の申入をしたところ、同人は三週間内に拒絶の意思表示をしなかつたから、控訴人は昭和二十一年十月中旬に本件土地の賃借権を取得したと述べ、立証として、新たに乙第十五号証を提出し、当審証人梅沢文雄の証言および当審における控訴人本人尋問の結果を援用し、当審において新たに提出された甲号各証の成立を認めた。
理由
別紙目録記載の土地(以下本件土地と称する)が現在梅沢文彦の所有に属すること、ならびに控訴人がこれを占有していることは当事者間に争いがない。被控訴人は、「本件土地はもと訴外烏森神社の所有に属していたところ、被控訴人はかねて本件土地を含む、東京都港区芝新橋一丁目十四番地宅地二十八坪四合六勺を同神社から賃借していた。訴外梅沢文彦は同神社から右土地を買い受けたものであるが、右売買に際し、同訴外人は従来烏森神社と被控訴人との間に存続していた賃貸借契約を賃貸人として承継する旨を約したから、爾後右梅沢文彦と被控訴人との間に賃貸借契約関係が存することになつた。仮に右承継が認められないとしても、右売買の際、烏森神社と梅沢文彦との間において、買主たる梅沢は、本件土地を含む前記二十八坪四合六勺の土地を被控訴人に賃貸する旨第三者(被控訴人)のためにする契約が成立した。これに対し、被控訴人は受益の意思表示をしたから、被控訴人は本件土地について賃借人たる地位を取得した。控訴人はなんら権原なくして本件土地を占有しているから、被控訴人は所有者梅沢文彦に代位して、控訴人に対し本件土地の引渡を求める。」と主張する。そこで
(一) まず、被控訴人と烏森神社との間に被控訴人主張にかかる賃貸借契約が存在したかどうかについて審究する。本件土地を含む被控訴人主張の二十八坪四合六勺の土地が、もと訴外烏森神社の所有に属していたことは当事者間に争いがない。成立に争いない甲第十六号証の一ないし四、同第二十三号証の四ないし七、九、同第二十五号証の一、二、同第二十九号証、同第三十二号証の二、原審ならびに当審における被控訴人本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第一号証、同第五号証の一、二、同第六号証、同第十九号証、原審証人山田正男、当審証人内海重蔵の各証言及び原審ならびに当審における被控訴人本人尋問の結果を総合すると次の事実が認められる。即ち、訴外烏森神社は昭和二十一年五月二十日までは宮司山田通保によつて代表され、その後昭和二十五年暮までは宮司佐々木春男により代表され、その後は宮司山田正男によつて代表される宗教法人であること、右山田通保は、昭和二十一年三月頃から病気になり、その療養費にも窮する事情にあつたので、同年五月上旬、当時の氏子総代川崎勝五郎、渡辺八十吉両名(総代の定員は三名であつたが、一名は欠員であつた)の斡旋により、烏森神社の代表者として同神社の所有にかかる前記二十八坪四合六勺の土地を、被控訴人に対し、建物所有の目的で、賃料は一ケ年六百八十三円四銭、期間二十年と定めて賃貸し、その頃権利金に代え奉納金名義で金二万円と、五ケ年分の地代の前払として三千四百十五円二十銭を被控訴人から受領したことが認められる。
控訴人は、「右賃貸借契約については、氏子総代の同意がなく、また神社本庁の承認がないから無効である。」と主張するから調べてみると、右賃貸借契約締結当時施行されていた宗教法人令第十一条によれば、神社がその所有に属する不動産を処分するには総代の同意を得るほか、所属教派の主管者の承認を得ることが必要とされていた。賃貸期間二十年というような長期の賃貸借は、「処分」と同一視すべきものであるから、その契約をするについては、右法条所定の手続を履践する必要があるものと解するのを相当とする。ところで、烏森神社が、被控訴人との間に締結した前記賃貸借契約について、その所属する神社本庁の主管者の承認を得た事実のないことは、被控訴人の自認するところ(成立に争いない甲第三十一号証の一、二、同第三十二号証の二によつても右のことは明らかである)であるから、右契約について氏子総代の同意の有無ないしはその適否を判断するまでもなく、烏森神社と被控訴人との間における賃貸借契約は宗教法人令第十一条第二項の規定により無効であるといわねばならない。
(1) 被控訴人は、「宗教法人令第十一条所定の、総代の同意もしくは神社本庁の承認は、単に契約の効力確定の停止条件に過ぎず、これがないからといつて契約そのものが当然に無効たるべきものではない。後日総代の不同意、もしくは神社本庁の不承認が確定するまでは契約は有効に存続するものである。」と主張するけれども、宗教法人令第十一条第二項の規定に徴すれば、神社総代の同意を欠き又は神社本庁の承認を欠く処分行為は、法律上当然無効であると解するのほかなく、所論のような条件附法律行為と同一視することはできないから、右主張は採用できない。
(2) また、被控訴人は、「烏森神社の主管者は、同神社が被控訴人との間に締結した賃貸借契約につき、神社本庁の承認を得る手続をとる義務があるにかかわらずこれを怠つたものである。即ち自ら条件の成就を妨げたものであるから、民法第百三十条の規定の趣旨から考えて、その無効を主張することは許されない。」と主張するけれども、本件の場合において「神社本庁の承認」は、これがなければ、賃貸借契約は効力を生じないものと宗教法人令に定められたものであつて、当事者の意思により定められた附款ではないから、それは民法にいわゆる停止条件に該当しないことは明白である。仮に被控訴人主張のように、本件の場合にも民法第百三十条を類推適用すべきものとしても、同法条は、「条件ノ成就ニ因リテ不利益ヲ受クベキ当事者ガ故意ニ其条件ノ成就ヲ妨ゲタ」場合の規定であるところ、烏森神社においては、その所有地を賃貸するについて神社本庁の承認を得る必要があるということを知らなかつたことは、被控訴人の自ら主張するところであるから、同神社が故意に右承認申請手続をなさず、神社本庁の承認を受けることを妨げたということはできないばかりでなく、控訴人は右賃貸借契約の当事者ではないから、右承認のないことを理由にして賃貸借契約の無効を主張することができるのは当然である。よつてこの点に関する被控訴人の主張も理由がない。
(3) つぎに、被控訴人は、「仮に右賃貸借契約が宗教法人令第十一条所定の要件を欠くがため無効であつたとしても、その後宗教法人法の施行により宗教法人令は廃止された。宗教法人法によれば、神社がその所有不動産を賃貸するについて神社本庁の承認を受ける必要はなくなつたから、本件賃貸借契約について神社本庁の承認がないという瑕疵は治癒され、有効なものになつた。」と主張するから検討するに、成立当時強行法規に反するがため無効である法律行為は、その後その法令が改廃されたとしても、当然には有効となるものではないから、仮に宗教法人法の実施により神社がその所有不動産を賃貸するについて神社本庁の承認が不必要になつたと解しえられるとしても、さきにその承認を得なかつたため無効であつた賃貸借契約が当然に有効となるべきいわれはない。この理は、さきに神社本庁から承認を拒まれたにもかかわらず、これを無視して締結された賃貸借契約が、その後法令の改廃により神社本庁の承認が不要となつても、当然に有効となりえないのと同様である。また宗教法人令は昭和二十六年四月三日宗教法人法の施行によつて廃止されたことは当裁判所に顕著なところではあるが、成立に争いない甲第二十九号証によれば、烏森神社が宗教法人法により新宗教法人として設立されたのは、昭和二十八年八月二十六日であることが認められるから、それまでは宗教法人令による旧宗教法人として存続していたものと認むべきところ、旧宗教法人については、宗教法人法施行後においても、宗教法人令の適用があることは宗教法人法附則に照らして明白であるから、本件賃貸借については、宗教法人法施行と同時に、当然に神社本庁の承認は不要となり、さきの賃貸借契約が有効になつたと解することはできないのである。而して烏森神社が新宗教法人となつた昭和二十八年八月二十六日以後において、被控訴人との間に、改めて本件土地に関する賃貸借契約を締結したとか、あるいは従前の賃貸借契約が無効であることを知つてこれを追認したと認めるに足る証拠は存在しないばかりでなく、後記のように、かえつて被控訴人と烏森神社との間においては、昭和二十六年頃土地の利用について紛議を生じ、同神社は昭和二十六年十月以降被控訴人から地代を受取つていないことが認められるから、烏森神社としては新宗教法人として発足後被控訴人との間に新しい賃貸借契約を締結する意思のなかつたのは勿論、従来の契約を追認する処置もとらなかつたと推認されるのである。従つて宗教法人法の施行により従来無効であつた賃貸借契約が効力を生ずるに至つたという被控訴人の主張は理由がない。
そうだとすると、訴外梅沢文彦が烏森神社から本件土地を含む宅地六十一坪三勺を買受けた当時(その日時が昭和三十年二月十八日であることは当事者間に争いがない)右土地について被控訴人と烏森神社との間には有効な賃貸借契約は存在しなかつたことになるから、右契約の存在を前提とし、これが梅沢文彦に承継されたという被控訴人の主張は理由がないものである。
(二) よつて、被控訴人と訴外梅沢文彦との間に被控訴人主張のような賃貸借契約が成立したかどうかについて審究する。梅沢文彦が昭和三十年二月十八日烏森神社から本件土地を含む宅地六十一坪三勺を買受けたことは当事者間に争いがない。被控訴人は、「右売買に際し、梅沢は烏森神社に対し、従来同神社と被控訴人との間に存続した賃貸借契約を承継する旨を約した。仮にそうでないとしても、その際、梅沢と烏森神社との間において従来被控訴人が烏森神社から賃借していた土地を、爾後梅沢から被控訴人に賃貸する旨第三者のためにする契約が成立した。」と主張するが、被控訴人と烏森神社との間には有効な賃貸借契約は存在せず、従つて梅沢は賃貸人としてこれを承継するに由なきことはさきに説明した通りであるばかりでなく甲第二十号証、同第二十二号証の各一、二、同第二十五号証の三その他本件に顕われた全立証に徴しても右主張事実を認めるに足りない。かえつて、成立に争いない甲第二十六号証、同第二十五号証の一、二、四、真正に成立したと認める甲第二十一号証の一、二、原審証人山田正男、当審証人梅沢文雄の各証言を総合すると、被控訴人主張のような契約の成立した事実のないことが認められる。即ち前顕各証拠によれば、烏森神社においては、前認定のように、昭和二十一年五月上旬以来本件土地を含む二十八坪四合六勺を被控訴人に賃貸してきたが(その賃貸借契約が法律上無効であることは前記のとおりである)、昭和二十五年暮頃、当時同神社の宮司佐々木春男と被控訴人との間が不和になり、遂に昭和二十六年一月頃、被控訴人は氏子総代を辞任し、また同神社の宮司も右佐々木春男の二男である山田正男と交替した。かようなわけで、その頃から烏森神社としては被控訴人に従来使用させていた土地を引き続き賃貸する意思を有せず、被控訴人も昭和二十六年十月分以降の地代の支払をしないで紛争を続け訴訟事件も係属するに至つた。かかる情況の下において、烏森神社は昭和三十年二月十八日本件土地を含む宅地六十一坪三勺を梅沢文彦に売り渡したのであるが、梅沢は右の土地を、自己の経営する病院施設拡張の敷地に利用する目的で買い受けたものであるから、これを被控訴人に賃貸する意思などは毛頭もつていなかつた。けれども、梅沢は右買受の際、烏森神社と被控訴人との間に、土地の賃貸借を繞つて紛争のあることを知つていたので、それをそのままの状態において引き継ぎ、自分の責任において解決する旨を約した事実はあるが、被控訴人主張のような、賃貸借承継ないし第三者(被控訴人)のためにする契約を締結した事実のないことが認められるのである。もつとも、前記甲第二十六号証中には、「宅地六十一坪〇三勺也、(1) 但全貸地の坪数並に氏名表示」として、その(2) に、二十八坪三合四勺也井出義盛(被控訴人)とあり、また(3) に、従来(今月迄の)未納地代は買受人において権利を承継する」旨の記載があるが、これを同号証中の他の部分の記載ならびに甲第二十五号証の二および四、原審証人山田正男、当審証人梅沢文雄の各証言と対照すると、右文言は被控訴人主張のように賃貸借契約を承継するという趣旨ではなく、当時紛争中であつた売主と被控訴人との間の法律関係を、買主たる梅沢が承継して処理するという趣旨であると解すべきものであるから、右は前認定を妨げるものではない。その他右認定を覆えすに足りる証拠はない。
(三) そうだとすると、被控訴人が本件土地について賃借権を有することを前提とし、これに基いて所有者梅沢文彦に代位して本件土地の引渡を求める本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから棄却を免れない。右とその趣旨を異にし、被控訴人の請求を認容した原判決は失当であるからこれを取消し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九十六条、第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 奥田嘉治 岸上康夫 下関忠義)
目録
東京都港区芝新橋一丁目十四番地
一、宅地 二十八坪四合六勺のうち
表向つて左側から間口二間三尺、
奥行三間の部分 約七坪五合